今朝は、地震速報のアラームで飛び起きました。
また石川県能登地方で震度6の強い地震があったようですね。
地震により被害にあわれた皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
被災地の皆様が安全を取り戻し、一日も早い復興を心からお祈りいたします。
いつもブログで『社長の食道楽』や『お疲れ様会』などなど
食や遊びネタが多いのですが・・・
今回はGW期間の仙台での工事が早く終われた日があり
お仕事をさせていただく地域がどんな歴史を歩んできたのか少しでも
勉強させていただこうと震災遺構『仙台市立荒浜小学校』を見学させていただきました。


2011年3月11日発生した東日本大震災
児童や教職員 住民320人が避難し2階まで津波が押し寄せた荒浜小学校。
津波による犠牲を再び出さないため、その校舎は震災遺構として公開され
津波の脅威や教訓を伝えてくださってます。
校舎の1階2階は被害状況や被害直後の写真が展示されていました。
現地で実際に見ると本当に何と言っていいのか言葉も出ませんでした。


階段を上り3階へ
現在3階は公開してませんでしたが、当時の3年生担当の先生の手記が・・・
避難者が書き残したメッセージ
『こんな時こそ、思いやりと感謝』『fight!! H23.3.12』
皆で救助までの不安な時を支えあっていた様子がうかがえます。

荒浜地区は仙台市中心部から10Km離れた沿岸部に位置し800世帯2,200人の人々が暮らしていました。
荒浜地区の歴史や文化を紹介してくれるパネルや模型がありました。
あの日がなければ、今も当たり前の日常があったんですね。

救助されるまでの写真や映像で災害への備えについて学ぶことができました。

が・・・
パニックの中そんな冷静に行動はできるのか?

荒浜小学校の先生方は『先生、大丈夫?』と子供たちに問いかけられ
『大丈夫、大丈夫』っと言いながら、校舎の外は海に囲まれ自らもどうなるかわからない状況の中
子供たちを少しでも安心させるため『大丈夫だよ』と声をかけ続けたそうです。
体育館にあった時計は津波で浸水した時間で止まっていました。

学校の周りの建物は一つもなくなり海のようになってしまったこの屋上で
寒空の下、救助を待ってたんですね。

海岸へ行ってみると津波で斜めになってしまった数本の松の木が残っていました。

静かな海には親子連れの方が何組かいて
中には里帰りらしき方が子供さんを連れてきてました。
荒浜小学校には故郷はなくなってしまったけれど
「また集まれる場所が欲しい」と地元の方の声を受けて
交流活動室(5年1組の教室)があります。

伊原社長は海岸で腰を掛け、携帯で荒浜の位置・地形等を確認しながら
思いにふけていました。

これからまた、仙台でたくさんのお仕事をさせて頂くと思います。
現地の仕事が早く終わった時、疲れてるかもしれませんが
関係者の皆様には震災遺構『仙台市立荒浜小学校』を見学することをお薦めします。
地震発生時の備えまとめを見つけましたので
今一度、ご確認してみてくださいね。





